とにかく古く保守的で改革革新に対する考え方が足りない、維持することが目的で強くなるために何をどうすればよいのかという合理性が全く見られない
横内監督はトレーナー的な存在で監督としてのマネージメントも戦術指揮能力も見られない、スタメンを相手の対策を考慮した選考ではなくスタメンポジション獲得を利用したモチベーター的な管理をしているが合理性がない上に選考過程もわからず固定スタメン、固定サブ、時間交代で戦局に応じた指揮をするわけではない、フォーメーションも4-2-3-1/4-4-2の良く言えばバランス重視だが悪く言えば戦況戦局に応じた戦術や交代をするわけでもないのでそもそもバランス型陣形を採用する意味がない、バランス型というのは状況対応型でもあるので状況を理解して対応する指揮能力がないと採用する意味がない、つまりすべてに置いて全く合理性が無く理由もない陣形採用、選手選考、状況対応できない指揮能力、これは情報を上げるコーチ陣も同じことで指揮能力のない監督に間違った情報を上げ続けるコーチではそもそも勝てるはずがない、コーチに任せた大学生とのTMで0-3負けたという結果からしてもコーチ陣の情報能力指揮能力もなく選手達もモチベーションがなくチームはバラバラのようだ
外から見た感じだと「クラブ内の統率」が最重要視されているようで、こういう組織形態は日本に多いがそういう組織は風通りが悪く一旦傾くと簡単に瓦解する、さらにこういう組織は有能な人材から離れ、駄目な人材が残りそれらが上に上がっていくシステムかつそのような保守思想が基盤となっているので蠱毒状態になり無能が煮詰まったようなチームになる
結果から見てもその通りになっている
結局、改革派より保守派勢力が非常に強い為に全く向上しないという状態、選手選考も不明でポジションは与えないといいながら「まともな」選手選考がなされた結果の人選とは思えない、そもそも基準もわからないし、相手に対応する為の選手選考でもない、かといってテクニカルをストロングにした戦術と選考かといえば足りないものの多い選手が普通に出続けている、この状況に対して選手を外すわけでもなく、交代するわけでもなく、新規加入選手をテストするわけでもなく、経験値を積ませるわけでもない、外から見ると監督に従った選手が出続け、その結果が1勝‐3点差16位という状況なので、誰がどう見ても監督に非があるとしか思えないわけだがそこはどうなっているのだろうか
戦術
陣形、戦術に関してはほぼ皆無、理由のある採用でもないし、アイデアによる変化もない、自分がやって来たものだから、基本だから、日本代表が使っているから、というような発展性が何一つない採用基準の様にしか見えない、そもそも4-4-2はキックアンドラッシュのイギリスで発展しているショートカウンター戦術ベースの陣形であり、走れないジュビロが採用する必要性がない、採用するのならば2トップやSHには高速タイプを配置しなければならない、4-2-3-1に関しても攻撃時はSBが上がるので4バックとしての採用の意味もわからない、2CBで被カウンターを止めるという事は到底無理な話、攻撃時に2CBWボランチで中央の中央しか守れずハーフも守れないような状況でカウンター対策などできない、そもそも採用理由もわからないし戦術とも合わない
攻撃に関してもパスによる攻撃サッカーを標榜するのは良いが、では具体的手段としてそれはどういうものなのかという言語化、実際にどのような配置、動き方、ボールの動かし方、前線での受け方、フィニッシュへのつなぎ方などの合理性と実用性を持った実装がなされているのかどうか、どうみていてもその辺りは仕組みがあるようには見えない
選手の自主性、というのは都合の良い話で、そもそも選手にその素地が無ければ全く意味のない話、強いチームはチームとしてのパターンを持ち、それをトレーニングから覚え込ませ、自主性はそうした基本が全てある状態で初めて機能する部分、野放図に好きにやれば、で選手の連携が上手くいくわけがない
パスにしても鳥かごばかりやるので動きながら受ける、動いている相手に送る、というパスがないので動き出しに無反応、全体が動き始めているのに足元で受けようとする、など送り手と受け手の連携が出来ない事すら多々見られる、ハッキリ言ってパスサッカーを標榜するレベルに無い、パス=足元同士のショートパスサッカーという非常に狭い範囲で固定され、そこだけしか仕込まれないので全員が下手糞になるチームになっている、ハッキリ言って「ジュビロに入ると弱くなる」という事実があり、だから新しい選手も入ろうとしないし声をかけても断られる、これはどう考えても「当たり前」の話し、しかしチームとしてそうしたことすら理解できていないというのが現状、感情的で自分達が悪く言われる、というのに耳を塞いで何も変わらないようにしているので弱いチームがさらに弱くなるという負のスパイラルから抜け出せなくなっている
「楽しくサッカーする」というサッカー文化の環境があるので勝負より「自分達がサッカーを楽しむ」という軸の方があるので強さに対するこだわりが薄い、楽しいサッカー、自由なサッカー、それはそれでよいが実際それで「強いジュビロ」の基礎が作れているのか、という部分への感じ方がかなり薄い、プロのサッカーチームとしてのレベルになく、企業スポーツや部活動の延長という感じが否めない
外国人監督への妬み、としか言いようのない外国人監督アレルギー、日本人で成績出せてたのは鈴木政一監督、名波監督だが、その基礎になったのはハンス・オフト、ルイス・フェリペ・スコラーリ、日本でのS級ライセンスはコネクションや協会への忠誠心など意味不明な選考理由の方が強いのでアジア、ヨーロッパのライセンス持ち監督の招聘の方がよっぽど良い、国内ライセンスは信用しない方が良い
黄金期サッカー観への誤解、黄金期を支えていたのは強度の高い守備によるボール支配であって、その地盤があるからこそパスサッカーによる攻撃という上物を建てることが出来た、しかし地盤の部分を無視して厚い中盤のパスサッカー、という部分だけ切り取られているのでいつまでも守備が軽視されボール奪取が出来ずに後手を踏む、というありえないことを何十年と繰り返している、こうした誤解を変えない限りジュビロは復活しない、ボールを握ることが出来なければパスサッカーなど怖くはないのだ
ジュビロは組織自体が「儒教的」部活サッカーの先輩後輩の上下関係が重視され肝心のスポーツ性、ゲーム性、合理性、勝利への執念などのメンタル面、など多くの部分が後回しにされ過ぎている
サッカーは「チャンスのスポーツ」、そもそも広いフィールドに22人しかいないのでどこにでもスペースは出来る、しかしオフサイドと狭いゴールと足で蹴るというルールによって簡単に得点できないスポーツでもある、サッカーは頭を使うスポーツでもあるがやはり空間を活かすことが重要になるので、キック精度、ポジショニング、スタミナ、スピードが重視されるべき、守備ではチャンスを作らせない、攻撃ではチャンスを多く作る、というのが重要になる、その為には相手に対して1対1ではなく、1対2、1対3を作っていくことが重要、ポジション、フォーメーション、オフザボールが非常に大事になるが考慮されていない
ジュビロが弱いのは「サッカー以外」の部分が最重要視されているから、もし、チームが「強いジュビロを復活したい」と本気で思っているなら、サッカーに関することが最重要されるべきなのである、それが出来ない時点でチームとして重要視しているのがサッカー以外の部分であることは明白、人間関係、上下関係、利害関係など、本気でやるならこうした部分をどれだけ排除してピュアなスポーツとしてのサッカーに意識を向けられるか、人格形成と言いながら支配関係を強める様なスポーツを利用した洗脳が重要視されるようなチームならない方がましだ
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